きんたま空間

打たれ弱いです、きんたまだけに。

ジャン=クロード・ヴァン・ダム、ボルボトラックCM(撮影前・編)書き起こし意訳



完全に茶番(モキュメンタリー)なこのPVですが、台詞を書き起こしたらコントだったので下記に記します

ジャン=クロード・ヴァン・ダム(以下J)
ヤン=インゲ・スベンソン(以下S)

J「馬力はどのくらいですか?」
S「540馬力って言ってたかな」
J「なるほど」
S「見た目よりずっとパワフルですよ」

字幕
ヤン=インゲ・スベンソン / ボルボトラック 技術者
ジャン=クロード・ヴァン・ダム / 俳優

S「このスタントで我々が披露したいのは、ステアリング機能の正確さと、その挙動の確かさなんです」
J「わかりました。もちろん直進しながら、ですよね?」
S「いや、」
J「えっ」
S「バックしながらやるんです。それから…このトラックの模型を使って説明すると…トラック同士はギリギリまで近づいてる。あなたにはそれぞれのトラックのサイドミラーに片方ずつ足を乗せて立っていただきます」
J「なるほど」
S「トラックはバックで動き出し、しばらくしてゆっくりと距離を広げ始める。そしたらあなたはバックミラーに足を乗せたまま…有名なあの開脚をはじめてください」
J「足を別々のトラックのミラーに?」
S「そう」
J「そして車間が開いていく?」
S「ゆーっくりと開いていく。あなたの開脚を披露する時間はたっぷりありますよ」
J「ちょっといいですか? そのまま行ったら私落ちると思うんですが…」
S「そうですね」
J「そして地面に…」
S「だがその前にトラックは車間を広げるのをやめ、そのままの距離を保ったまま走り続けます」
J「やりま…しょう。ありがとうヤン・インゲさん、ホントに」
S「どういたしまして」
J「光栄です」
S「来てくれてありがとう」
J「じゃあ行きますか」
S「えぇ、行きましょう…この前フラメンコ・バーに行ったと聞きましたが…どうでした?」
J「素晴らしかったですよ」
S「私も行ってみたいなぁ」
J「じゃあこの撮影が終わって、もし俺が死んでなければ…」

SF映画ベストテン

男の魂に火をつけろ!」の企画、「SF映画ベストテン」に参加。2013年は誰が何といおうと「パシフィック・リム」がナンバーワンなのだが、このエントリでは若い(幼い)頃の自分に影響を与えたSF映画、という事を基準に選んでみた。

jedi

1983年 アメリカ

1. スターウォーズ ジェダイの復讐

はじめて親に連れ添われずに観に行った映画。当時はレンタルビデオなどもなく、「帝国の逆襲」はこの時点で未見だったのだけれど、ハン・ソロが捕まってたりダース・ベイダーがルークの父だったりというのは映画雑誌などで知っていた。何といってもデススター内部突入のシーンの凄さに、「何でこれをハン・ソロとチューイでやらずに裏切り黒人とツヤツヤキノコみたいな宇宙人で手柄取ってんだよ」と憤慨した。エンドアのイウォークVS帝国軍は退屈だけれども、エンディングが彼らの歌で終わらない特別編は絶対に認めない。



バックトゥザフューチャー

1985年 アメリカ

2. バック・トゥ・ザ・フューチャー

当時ダビングしたビデオを貸し出しているレンタルビデオ屋で働いていて(そういう大らかな時代があったのだよ)、仕事中に何となく観たら凄っげぇ面白かった。ソフトのダビング版ではなく、アメリカのどっかの劇場にカメラ設置して撮影したブツだったので笑い声や歓声も収録されており、「アメリカ人の映画に対するリアクションが体験できます」と英語の先生にプレゼンして授業の一環として皆で観た思い出がある。「間に合うか間に合わないか演出」をする際には、「明らかに間にあわない映像を使っても、帳尻が会えば間に合ったように見えるので感動もひとしお」という技を知った。




うる星やつら2 ビューティフルドリーマー

1984年 日本

3. うる星やつら2 ビューティフルドリーマー

「うる星やつら」は、ちょうどアニメ化の際にチューイング・キャンディが発売されて、点数集めるとコミックがもらえるという事で応募して読み始めたのがきっかけ。うんちく臭い台詞回しに見事にハマり、「ふぁんろ~ど」を購読し始めた。第一作の「オンリー・ユー」がつまんなかったので期待はしていなかったんだけれど見事にノックアウトされた。この時代の「少々レベルオーバー気味にスピーカーから鳴ってるアナログ録音の音」は、「今ぼくは映画を観ている」と実感できる要素の一つだったと思う(香港カンフー映画の割れ具合も好き)。




マトリックス

1999年 アメリカ

4. マトリックス

「CGを使えば現実と見分けがつかない映像が作れる」と観客が思うようになってきた時代の傑作。ネオに影響されてマイクロソフトのセパレート・キーボードを購入し、おかげでブラインドタッチ(かな)を習得する事が出来た。個人的に一番印象的なのは劇中モーフィアスが「現実とは何か?」を語るシーン。毎回このシーンが来るたびに、自分が実際に生きている世界の意味や死の恐怖を考えてしまってゾクゾクする。ブレット・タイムは本編よりもデモンストレーションとして撮った屋外でドラム缶を爆発させたやつの方が感動した。この映画に出てくるNOKIAの携帯に憧れて、同じやつが国内で出るまでは携帯買わないと心に決めたが、結局出なかくて残念。




bttf2

1989年 アメリカ

5. バック・トゥ・ザ・フューチャー Part2

とにかく冒頭に描かれる2015年のシーンの「ありそうな未来感」が最高(あと数年で車やスケボーが空飛ぶとは思わないけど)。ここを過ぎると一気に印象が薄くなり、「自分にとってのいい感じな歴史」に戻すための一連の話はどうでもいいし、その蛇足感は完結篇のPart3まで続く。だが。この映画における素晴らしきVFXの数々、あちこちのシーンで、「えっこれどうやって撮ってるの!?」と驚き、ビデオが出てから何度も何度もコマ送りで再生しては感動したという体験は、CGIに慣れた今の人々には分かってもらえない程過去のものなのだと思うと非常に感慨深い。




t2

1991年 アメリカ

6. ターミネーター2

ぼくの田舎での話になるが、「ターミネーター」は日本においてはレンタルビデオで徐々にファンを掴んでいった映画だったと思う。面白い作品だという評価が口コミで伝わり、いつの間にか「絶対観るべきSFアクション」の地位を築いていた。初めてこの作品の予告編を観た時の、今ではすっかりおなじみとなったあのテーマ曲がかかって、「ガキン!」という金属音と共に「T2」と出た衝撃が未だに忘れられない。T-1000の液体金属表現をはじめとしたCGI、上映に先行してMTVなどで流れて盛り上がったガンズの"You clould be mine"のPV、その後カップヌードルのCMに抜擢され、今なおカップヌードルが主食ではないのかと心配されるエドワード・ファーロングの美少年っぷりなど、印象に残った事を挙げだしたらきりがない傑作である。




スペースボール

1988年 アメリカ

7. スペースボール

メル・ブルックスの作品で一番好きなのは「珍説世界史PARTI」なんだけど、それに次いで好きな作品。ポリス・アカデミーのサンプリング警官としておなじみのマイケル・ウィンスローが、相変わらずな音真似ギャグをしているのも嬉しい。ギャグはベッタベタ、話は大味のメルブルックス節は好き嫌い分かれると思うが、とりあえずちんぽがライト・セーバーになるのを笑えるか笑えないかは重要な線引きとなる。途中でてくる「"今"の場面に巻き戻せ!」「出来ません!」「何でだ!」「過ぎました」「いつだ!」「今です」のやりとりはテンポがいい上に非常に哲学的なギャグなので、日々の暮しに疲れた際にはそこだけ観返してやる気を出す、というくらい気に入っている。



スターファイター

1983年 アメリカ

8. スターファイター

ゲーム好きが宇宙を救う、というシンプルな話だが、当時は今のようにビデオゲームを趣味とすることが今のようにポピュラーではなく、「ゲーセンは不良の行くところ」とか「そんな事やっても何の役に立たない」などさんざん言われていた時代だったので、この映画を初めて観終わった時の感動は涙を伴った。CGはテクスチャも貼られていないツルッツルのものだが、「ついに、ついにこんなに大量のCG戦闘シーンが映画で観れる時代がやってきた!」と当時は興奮したものである。この当時でコンピュータ好きが騒動を起こす話としては「ウォー・ゲーム」があったりして、振り返ればコンピュータという存在が我々の身近なものになってきた時期でもあった。




ガンダムIII

1982年 日本

9. 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編

「テレビでやってた同じ話を映画館で観直すなんてバカバカしい」とはウチの親の感想だが、それでも観に行ったのは主に新作カットの絵が素晴らしかったからで、隊長機のザクが下っ端のザクを押しだしたはいいが自分が攻撃くらって爆死、というテレビ版にない小話が特に印象深いそれであった。ポスターに使われたラスト・シューティングのポーズは、当時入手困難だったガンダムをやっと手に入れた少年たちが、その首と片腕もいでライターであぶって溶かして汚しをつけて再現した案件が後を絶たなかった。かくいう私も、「折角買ったプラモデルに何てことしてんの!!」と怒られた。しかし、そのような蛮行に駆り立てるほど、このシーンは心揺さぶる名シーンなのである。



さらば宇宙戦艦ヤマト

1978年 日本

10. さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち

こどもの頃、夜寝る前に劇場版宇宙戦艦ヤマトのレコード(AB面にダイジェスト版の音声が入っている)をかけて寝る日々が続いたことがあって、ヤマト自体もよく落書きしていたから、「さらば」と冠したこの映画の情報を知った瞬間、「もう二度とヤマトは観れないんだ」と号泣したことがある。今ではもちろん「あの時の俺の涙を帰せ」と思っている。そしてその反動からか、この作品は未だに通して観れていない。テレビ特番でチラッととか、雑誌で設定資料集をとか程度しか知らない。この後のシリーズはチェックしているのに、公開から35年経った今なお、あのころのざわざわした気持ちを思い出すのが嫌で向き合えないのだ。


桜塚やっくんの想い出

当時ぼくは「棚からぼた餅」的な話を受け、写真週刊誌で連載記事の挿絵をやっていた。

週刊誌に連載を持っている、といえば聞こえはいいが他から依頼はなく、しかし一回当たりのギャラは原稿作成の作業量に対して割がよかったので、コンビニで週5バイトして得れる月収程度は稼いでいた。2006年。

当時「エアギター」というものが流行っていた。ギターを弾くふりをして観客を盛り上げるというよくわからないパフォーマンスだったが、なぜかその当時ブームとなった。

連載以外は特にすることもなかったので、新宿ロフトプラスワンで開催されていてたそのイベントに応募してみる事にした。日本大会決勝戦が行われるのはサマーソニック。そしてその日本大会で優勝すればフィンランドで行われる世界大会のチケットを得ることが出来るというのである。

結果は予選を2位で通過、本選の順位は覚えていない。それよりもサマーソニックに出れたことが嬉しかった。また他の出場者にプロレスラーのリッキー・フジ、元シャ乱Qのしゅう、海賊キャラクターで売り出す前のゴー★ジャス、そしてその年決勝戦で優勝し、その後開かれた世界大会で二連覇を成し遂げたダイノジの大地がいた。振り返ってわかるように、エアギター・ブームは格好のステッピング・ストーンだったのである。

客が入るイベントという事で、非公式のエアギター・イベントがあちこちで開催されていた。本家と違ってパチモンのエアギター・イベントのステッピング・ストーン感は出場者の胡散臭さと相まって増していた。ステージで前衛芸術的なパフォーマンスをはじめるものもいれば、ギターを持って登壇する者もいた。そして、本家以上に燻っているお笑い芸人たちがいた。

その中に桜塚やっくんをみつけた。意外だった。「こんなことしなくても売れかけているのに」と思った。

彼は当時出ていたテレビ番組「エンタの神様」に「スケバン恐子」というキャラクターで出演していたがまだ充分な知名度は無く、イベントの司会者からもそのキャラをたいしてイジられもせずに彼の出番は終わった。番組を観ていたぼくだったがそれを伝える事もなく、このよくわからないイベントは終了した。テレビと違いやっくんの紙芝居を用いたエアギター・パフォーマンスはそれほど受けず、楽屋に帰って来てからの機嫌はよくなかった。彼が使った曲はクリームの「レイラ」だったと思う。

リハーサルで細かい指示をしていた人。それがぼくの彼に対する印象だった。「板付きで」とか、「このタイミングで照明をこうして…」とか、余興程度に出ているぼくと比べたら全く違う姿勢だった。リハが終わって楽屋で手持無沙汰にしていた彼はぼくに、
「あのー、奥田民生に似てるって言われる事ないッすか?」と喋りかけてきた。それをきっかけに、二言三言音楽についてのやりとりをした。ユニコーンのファンなんすよ、と言っていた。交流はその時だけで、以降彼はエアギター・イベントに出ることなく(周りには「二度と出ない」と言っていたらしい)、その後訪れたブームに乗って一躍有名人となり、ぼくが仕事をもらっていた写真週刊誌でも、「飲尿AVに出ていた過去」が結構な扱いでスクープされるほどになった。7年前。

しかし彼のブームは、彼の出ていた番組と共に下降線を辿る。
 

2年半前、ぼくは今住んでいる町に引っ越した。連載はとうの昔に終わり、その後どこからもお呼びがかからなかったので、その程度の才能だったのだとあきらめたぼくは何とか仕事を見つけ、通勤時間と交通費がかからないようにするために、勤務先まで歩いて10分ほどのアパートに居を構えた。

相変わらず暇だったので、インターネットで近所のレンタルDVD店を探し、入会する事にした。歩いて10分かからない場所にそれはあった。

入会手続きを済まし、とりあえず何本か借りる事にした。何を借りたのかは覚えていないが、いちおう店内の棚割りを見て回り、この店の在庫状況や併設している中古ゲームコーナーの取扱商品をチェックした。

店内に、処分扱いとなったレンタル商品を中古価格で売るコーナーを見つけた。

桜塚やっくんのDVDがあった。100円だった。

こちらに向けられたDVDパッケージの背表紙は既に日焼けしていて、この商品がもう長くこの店のその場所に置いてあることが分かった。「見ないとがっかりだよ!」というタイトルのその商品を観るものは誰もいなかった。袖刷りあう程度の交流をしたぼくも、たとえそれが100円であっても買おうとは思わなかった。つまり、ぼくはテレビで何度も笑わせてもらった彼を既に消費していて、改めて体験する気にならなかったのだ。

それからもずっと、そのDVDはその店の中古コーナーで、他の100円商品がポツポツと出ていく中、死に体で不動のポジションを築いていた。
 

数日前、そのDVDが無くなっていた。彼が死んだ次の日の事だった。
 

事故を知っていたぼくは、どんな人がこのDVDを買っていったのだろうかと想像した。本当のファンだったのだろうか。それとも興味本位。もしくは既にカタログ落ちしたこの商品を転売目的で? 答えはそのどれでもなかった。

邦画・バラエティ「お笑い芸人」の棚にそのDVDはあった。

100円でも売れなかったDVDは、7泊8日180円のレンタル商品として再びこの店で扱われるようになっていた。既に貸出中となっていたそれは今後しばらくの間、微々たる利益をこの店にもたらすのであろう。いつまで続くのかはわからないが。
 

彼の死に哀悼の意を表します。

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